77. 好きな歴史上人物 part7 (真田信之)
弟の幸村にしろや。そう思うかもしれませんが、今回は兄信之の方。
まず最初に、急な人物変更すみませんでした。お詫びを申し上げます。
さて、真田信之。2016年大河ドラマ真田丸では大泉洋さんが演じておりました。
今回は有名な関ヶ原までの人生の経歴ではなく、あまり知られてない関ヶ原以降の人生の経歴について話していこうと思います。
関ヶ原以前のことについて知りたい方は真田丸を見るか又は以下をクリック!
さて時は1600年、当時対立していた石田三成勢(父昌幸弟幸村含む)と徳川家康勢についに戦が始まります。
第二次上田城の戦いで徳川本軍を送らせときながら石田三成は家康軍のみによってやられてしまいます。
戦いに勝ったのにもかかわらず、全体としては負けてしまった昌幸と幸村。その後奈良県へと幽閉されてしまいます。
一方、信之の方は着々と徳川家臣の中でも存在価値を高めていきました。
そして1611年に昌幸が亡くなった3年後、ついに大阪冬・夏の陣が始まり、弟幸村は家康を後一歩まで追い詰めながらも戦死してしまいます。
一方、信之は体をこじらせたとして江戸にとどまり、息子たちに戦いを任せました。
その後、徳川幕府安泰となり、真田信之は1616年に50歳を迎え、家督を息子に譲り隠居しようとしました。しかし、幕府側からそれを断られ、今後とも幕府に使えることになりました。
その後、1638年には当時としては数少ない戦国時代を戦い抜いた人として立花宗茂とともに天草の乱鎮圧に貢献しました。
そして、初代家康、二代秀忠、三代家光、四代家綱と将軍家に仕え、1656年なんと91歳の時ついに家督を譲り隠居することになりました。(その頃には息子が先になくなってしまい孫に家督相続した)
しかし、二年後。その孫もなくなってしまい、その嫡男(ひ孫)は僅か2歳。
そこで孫次男と曽孫で御家騒動が起きてしまったのです。そこで入ってきたのが93歳の信之。次期当主は曽孫であるといい、御家騒動にケリをつけました。そして、なんと93歳にして当主に臨時復活!
しかし、流石に年齢も年齢なのでねぇ。
そうして御家騒動解決してから、信之は静かになくなりました。(1658年11月12日)
そして、信之が建てた松代藩は、幕末維新の旋風を作る佐久間象山を育てたところでもあります。信之の魂は、幕末維新へと受け継がれていったのでした…
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回は佐々成政を予定しております。お楽しみに!
では…