205. 左半月板損傷による入院生活日記〜あれから二年を経て振り返る〜(再掲・再編集)
(2020年10月8日作成)
これは、ちょうど二年前(時刻も丁度11時20分から手術受けました)僕が体験した入院生活の話です。これから手術に向かう人などに規模の大きさは小さいかもしれませんが、少しでも多くの人に役に立てればいいなぁと思います。
それでは一年前、前編・後編に分けて記事にした「あれから一年」シリーズをご覧下さい。
42. あれから一年(前編)(2020年1月22日投稿)
(この記事は1月31日に公開される「あれから一年(後編)」の前触れとして書かれています。なので、今日は1月31日ではないですが、今日を1月31日としてみて下さい。)
あれから一年かぁ……
今日2020年1月31日。その一年前である、2019年1月31日。
その一ヶ月前。衝撃的なことが起きた。今回はその衝撃的なことが起きた2018年12月22日の約一週間前である12月17日からことを起こします。
2018年12月17・18日
当時所属していた野球部の練習があった。5日連続の練習の1日目と2日目。何事もなくいつものように練習を終えた。
2018年12月19・20・21日
気づいたら、左足が痛かった。最初はすぐ治るだろうとほったらかしといた。(よくあることだと思ったから)
しかし20日21日と日を重ねるにつれて、どんどん痛みが増していった。そして最終的には走れなくなり、歩くのがやっとの状態になってしまった。
しかし、筋肉痛だろうと思い、(5日続けてだったので)親にも言わず、放置していた。(結果的には何事もなかったが、これは絶対にやってはいけない行為。これは読者の皆さんにも分かってもらいたい)
2018年12月22日(運命の日)(夕方まで)
終業式の日。足はものすごく痛かったが、なんとか学校に行き昼に帰宅した。しかし、あまりにも痛いし、翌日から4泊5日での合宿があったので、クリニックに行き安心して帰ってこようと思い、クリニックに行った。
そして診察の時、今の足の状態のことを赤裸々に話した。(この時医師は足のところをチェックして、険しい顔つきになってた気がする。これは後から思い出したことです)僕はその時何かしら適当なこと言われて、大丈夫だと言われて終わりだと思っていた。
しかし医師から言われたのは、
「今からレントゲンとMRIとるから準備してて下さい。」
最初言われた時、ん?っと思いました。そして、カルテを見たとき衝撃的なことが書かれていました。
「左足関節半月板損傷の疑い」
動揺が隠しきれませんでしたね。何しろこんな長い病名には遠縁だと思ってましたから。すぐに診察室を出て、病院のトイレで親に電話しました。まぁ、親も心配そうでした。
その後MRI専門病院にいって、検査しました。その結果医師から正式に言われたのが、
「○○さん。その左足の痛み半月板損傷によるものです。」
嘘だと思いましたね。
「何か左足を変な方向に曲げたりしましたか?」
しかし、何も思い当たることがない。
っと言ったら、
「じゃあ、多分慢性的に痛んでいたのでしょう。なんで今のタイミングかは不明ですけど、何かがきっかけで損傷してしまったのでしょう。元々○○さんの場合、先天的に半月板が大きいものなんですよ。」
ちなみに半月板とは?と思った方は以下のところをクリック↓
「じゃあ、先生。その対処法とはなんですか?」
そしたら、衝撃的な答えが返ってきました。
「対処法は一つ、手術ですね。まぁ、よくあることなんですけれども…」
よくあることだと言われても手術!?
さらに、
「だいたいの場合、成功するんですけれども、もし失敗した場合足切断となります。」(ここまで直接的ではなかった)
本当に事実が受け入れなくて、辛かったです。なんですよ自分が…と思いましたね。
2018年12月22日(夜)
母親がセカンドオピニオン(簡単に言えば、第三者の意見を聞くこと)を聴きたいということで、二つ目のクリニックに行った。
しかし、結果は同じでついに、大学病院への招待状をもらった。
2018年12月23〜27日
荷物も送ってたことだし、医師には反対されたが、足をあまり使わない程度で合宿に参加した。
2018年12月27日
合宿最終日を途中で切り上げた。
2018年12月31日〜2019年1月1日
年末年始を祖父母の家で過ごし、事実を伝えた。
2019年1月2日
四つ目の病院。しかし、結果は同じ。
(三つ目はまさかのヤブ医者だったw)
2019年1月5日
ついに大学病院。普通のクリニックとは違い、患者をいかに早く処理するのかが勝負みたいな世界に見えた(クリニックの場合、いかに患者に親切に扱うかが勝負だと思う)
しかし、診察結果は同じで、悩みに悩んだ末、将来の為にも僕は手術することを決意。(それ以外に方法がなかったし、手術するなら早くしたほうがいいとのことだったので)
家族で誰も受けたことがなかった手術。僕はその先駆者となってしまった。
2019年1月12日
二回目の診察。手術の日程が1月31日に決定。よって1月30日に入院することになった。
2019年1月29日
手術が近づくにつれて不安ばかりがたまる。
失敗したら、失敗したら、足が切断だ…
それしか考えられなくなった。
あまりの不安で、僕は学校を休んだ。(しかし、休んだところで何も解決しなかった。ただ逃げていた。)
2019年1月30日
ついに入院の日。両親とも働いたので、朝早くからの入院となった。僕は手術のことを考えたくないので、ゲームなどをして、現実逃避していた。
そして夜になった。寝る時間になった。
しかし、
寝れない。
(確かに周りのおじさんたちのいびきはすごかったが)そういうわけではない。
不安すぎて寝れない。
足を切断されてしまうかも、
そう考えていたらいつのまにか
足が切断されてしまう
と考え始めていた。そして、今日が足がくっついたまま寝るのが最期かもしれない。
負の連鎖だった。
2019年1月31日
結局寝れなかった。徹夜。食べ物は一昨日から食べられなかったから、空腹状態。最悪の状況だった。
迎えた11時。看護師さんがやってきた。
心の準備が整わないまま、手術待機室へ……
43. あれから一年(後編)(2020年1月31日投稿)
2019年1月31日(手術の日)
11時。時間がやってきた。そして看護師さんがやってきた。
心の準備が整わないまま、手術待機室へきた。
ここで両親とお別れ。
当時高1ながら恥ずかしいが、親がいなくなるのが不安だった。まぁ、得体の知れないものに突っ込んでいくんだから。甘えですね笑。(まだ親のおっぱいを吸っていたかったとは……情けない)
確か11時20分まで待たされました。もういろんな意味でいてもたってもいられませんでした。
「失敗したら、失敗したら、……」
もう本当にそれしか頭にありませんでした。
迎えた。11時20分。僕の名前が呼ばれ、手術室に行きました。(結構遠かった)しかし、まだ手術室にはまだ主治医がいなかった。看護婦さんの言われるがままに横になってました。
そこに、ようやく主治医が現れました。そして、マスクを被り(昨日やったインフォームドコンセントの通り)、全身麻酔注入。
その数秒後から、もう意識はありませんでした。看護師さんに起こされ気づいた時は、もう手術は終わってました。
起き上がる気力もなく、足がどうなっているのか見る気力もないくらい眠かった。その後、病室まで運ばれ、主治医から手術結果についての説明があったらしいですが、麻酔に耐えられず寝ていました。そして気づいたら、18時30分。
麻酔打ってから7時間ぐらい寝ていたのか……
恐ろしや恐ろしや……
ようやく麻酔から解放された僕はすぐ足を見ましたが、案の定包帯に巻かれて傷跡は見れませんでした。その後親から手術結果を聞きました。
2019年2月1日〜5日
そして、ここから左足が全く使えない生活がはじまったのです。最初は本当に不安しかありませんでした。左足なしで三ヶ月も生活できるのだろうか?松葉杖は上手く使えるのだろうか?
トイレに行きたくても、思うように行けない。だから尿をバケツに入れて看護師(ほとんど女性)に渡すのも抵抗がある。どうすればー。(最終的に後者の方に慣れてそっちをメインにしてやってました。
お風呂も苦労しました。松葉杖が唯一使えない場所であったので左足に絶対に負荷がかからないように歩いたり、大変でした。
入院中はほとんど暇なので、テレビやスマホゲームや勉強などで過ごしていました。(最後の夜の時はアジアカップ決勝見てましたよぉ〜)
2019年2月6日〜3月上旬
退院後、松葉杖生活が始まりました。頑張って学校や塾に行きました。
毎週木曜日は診察の日。順調に回復してると思いきや、なんと無意識に左足に負荷がかかってしまっていたのです。そのせいで左足関節の部分に水が溜まり、なかなか思うように膝が曲がらないようになってました。それで、水抜きをしました。
めちゃめちゃ痛かった。よく親にお前は痛みに鈍いと言われる僕でさえいたかったのです。
何が痛かったのか?注射の針が骨に当たっていると分かるんです。それがとてつもなく痛くて、さらにその状態が6分ぐらい続いたのです。
しかし、抜いた後なんと気持ちが良かった。なんでか?
思うように膝が曲がるようになっていたのです。
それでも数週間が経てば、また水が溜まる。その繰り返しでした。
しかしいつの間にか松葉杖は片方だけになりました。(左足を怪我しているので松葉杖を置くのは右足側)
そんな中、リハビリが一番しんどかったです笑
2019年3月下旬
春合宿があり、当初の予定だとそこに復帰することを目指していましたが、回復優先ということでパス。
そして、抜糸。痛くないとかいってたけどそこそこ痛かったよぉ〜。
2019年4月1日
(エイプリルフールの日)なんてね。
部活復帰の後の初の練習。医者には足の調子が良ければ復帰しても良いと言われ
、出てみたのですが、4時間練習の内に半分ぐらいで足が痛くなりました。そして、左足を痛めるのが怖くてスライディングするのが怖くなりました。でもそれでもこれは大きな一歩。
2019年4月〜7月
順調に回復。
部活は本当に足の調子がいい時だけに限っていましたが、リハビリの成果足が段々と自由に動かせるようになりました。
2019年8月
ついに医者から完全に回復したと告げられました。最初に言われてから半年以上経過していました。(いろいろ後遺症が残ってしまいましたが、、、)
辛かった。ただそれだけです。でも、人生において貴重な経験ができました。色々なことを学びました。
おわりに
手術。その遠い存在に今回は付き合わされました。最初は不安そして辛かったです。それでも協力してくれた両親や学校のとある教師がいました。そのおかげで無事にこの大きな壁を乗り越えられました。最後まで付き合ってくれて本当にありがとうございました。この恩はいつか絶対に返したい。ただそれだけです。
以上
最後まで読んでいただきありがとうございます。よかったら読者になって下さいよろしくお願いします。
では……