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大学一年生ブログ初心者です。基本的に自分の趣味について語っています!是非見て下さい!

43. あれから一年(後編)

2019年1月31日(手術の日)

11時。時間がやってきた。そして看護師さんがやってきた。

心の準備が整わないまま、手術待機室へきた。

ここで両親とお別れ。

 

当時高1ながら恥ずかしいが、親がいなくなるのが不安だった。まぁ、得体の知れないものに突っ込んでいくんだから。甘えですね笑。(まだ親のおっぱいを吸っていたかったとは……情けない)

 

確か11時20分まで待たされました。もういろんな意味でいてもたってもいられませんでした。

「失敗したら、失敗したら、……」

もう本当にそれしか頭にありませんでした。

 

迎えた。11時20分。僕の名前が呼ばれ、手術室に行きました。(結構遠かった)しかし、まだ手術室にはまだ主治医がいなかった。看護婦さんの言われるがままに横になってました。

 

そこに、ようやく主治医が現れました。そして、マスクを被り(昨日やったインフォームドコンセントの通り)、全身麻酔注入。

 

その数秒後から、もう意識はありませんでした。看護師さんに起こされ気づいた時は、もう手術は終わってました。

 

起き上がる気力もなく、足がどうなっているのか見る気力もないくらい眠かった。その後、病室まで運ばれ、主治医から手術結果についての説明があったらしいですが、麻酔に耐えられず寝ていました。そして気づいたら、18時30分。

 

麻酔打ってから7時間ぐらい寝ていたのか……

恐ろしや恐ろしや……

 

ようやく麻酔から解放された僕はすぐ足を見ましたが、案の定包帯に巻かれて傷跡は見れませんでした。その後親から手術結果を聞きました。

 

2019年2月1日〜5日

 

そして、ここから左足が全く使えない生活がはじまったのです。最初は本当に不安しかありませんでした。左足なしで三ヶ月も生活できるのだろうか?松葉杖は上手く使えるのだろうか?

 

トイレに行きたくても、思うように行けない。だから尿をバケツに入れて看護師(ほとんど女性)に渡すのも抵抗がある。どうすればー。(最終的に後者の方に慣れてそっちをメインにしてやってました。

 

お風呂も苦労しました。松葉杖が唯一使えない場所であったので左足に絶対に負荷がかからないように歩いたり、大変でした。

 

入院中はほとんど暇なので、テレビやスマホゲームや勉強などで過ごしていました。(最後の夜の時はアジアカップ決勝見てましたよぉ〜)

 

2019年2月6日〜3月上旬

 

退院後、松葉杖生活が始まりました。頑張って学校や塾に行きました。

毎週木曜日は診察の日。順調に回復してると思いきや、なんと無意識に左足に負荷がかかってしまっていたのです。そのせいで左足関節の部分に水が溜まり、なかなか思うように膝が曲がらないようになってました。それで、水抜きをしました。

 

めちゃめちゃ痛かった。よく親にお前は痛みに鈍いと言われる僕でさえいたかったのです。

 

何が痛かったのか?注射の針が骨に当たっていると分かるんです。それがとてつもなく痛くて、さらにその状態が6分ぐらい続いたのです。

 

しかし、抜いた後なんと気持ちが良かった。なんでか?

 

思うように膝が曲がるようになっていたのです。

 

それでも数週間が経てば、また水が溜まる。その繰り返しでした。

 

しかしいつの間にか松葉杖は片方だけになりました。(左足を怪我しているので松葉杖を置くのは右足側)

 

2019年3月下旬

 

春合宿があり、当初の予定だとそこに復帰することを目指していましたが、回復優先ということでパス。

 

そして、抜糸。痛くないとかいってたけどそこそこ痛かったよぉ〜。

 

2019年4月1日

 

(エイプリルフールの日)なんてね。

 

部活復帰の後の初の練習。医者には足の調子が良ければ復帰しても良いと言われ

、出てみたのですが、4時間練習の内に半分ぐらいで足が痛くなりました。そして、左足を痛めるのが怖くてスライディングするのが怖くなりました。でもそれでもこれは大きな一歩。

 

2019年4月〜7月

 

順調に回復。

 

部活は本当に足の調子がいい時だけに限っていましたが、リハビリの成果足が段々と自由に動かせるようになりました。

 

2019年8月

 

ついに医者から完全に回復したと告げられました。最初に言われてから半年以上経過していました。

辛かった。ただそれだけです。でも、人生において貴重な経験ができました。色々なことを学びました。

 

 

おわりに

 

手術。その遠い存在に今回は付き合わされました。最初は不安そして辛かったです。それでも協力してくれた両親や学校のとある教師がいました。そのおかげで無事にこの大きな壁を乗り越えられました。最後まで付き合ってくれて本当にありがとうございました。この恩はいつか絶対に返したい。ただそれだけです。

 

 

以上

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。よかったら読者になって下さいよろしくお願いします。

 

 

では……