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238. クローズアップ・「君主天皇制から象徴天皇制へと」 part24

今日、5月3日は憲法記念日

たまたま憲法の授業の課題を書いていたので、せっかくなのでここにもアップしようと思います!!!

君主天皇制から象徴天皇制へと

1945年の敗戦後、日本政府は君主天皇制を維持したかった。

 

天皇統治権を総攬せられるという大原則には変更を加えない。」

松本四原則 ア>。

 

アの原則は、統治権の総攬者としての天皇の地位を温存しようとするものであり、
「国体」護持の基本的立場がここに現れている。この四原則に基づいて松本案が起草
され、「憲法改正要綱」として 1946 年 2 月 8 日に総司令部に提出された。

日本国憲法の制定過程」に関する資料 衆議院憲法審査会事務局

しかし、その七日前の2月1日、いわゆるマッカーサーの三原則が決まっていた。そ
こには日本政府の思惑とは違ったことが書かれていた。

 

天皇は、国家の元首の地位にある。 皇位の継承は、世襲である。 天皇の義務およ
び権能は、憲法に基づき行使され、憲法の定めるところにより、 人民の基本的意思
に対し責任を負う。」

マッカーサー三原則 ア

このように天皇を主権または憲法の下に置くのか(または一部の人たちから上がって
いた天皇制を廃止にするのか)で両陣営大きく分かれていた。

しかし2月13日、完成したマッカーサー草案が日本政府に手渡された。そこには基本
的な諸原則を憲法草案として用意したので、

 

この草案を最大限に考慮して憲法改正
努力してほしい

日本国憲法の制定過程」に関する資料 衆議院憲法審査会事務局

というGHQからのメッセージだった。

 

日本側は、突如として全く新しい草案を手渡
され、それに沿った憲法改正 を強く進言されて大いに驚いた。そして、その内容に
ついて検討した結果、 松本案が日本の実情に適するとして総司令部に再考を求めた
が、一蹴された

日本国憲法の制定過程」に関する資料 衆議院憲法審査会事務局

ので、最終的に日本政府はGHQの圧力に耐えられず、受け入れることになった。

そこから日本政府とGHQとの交渉の末、象徴天皇制の下、現行憲法ができるわけであ
る。

 

ここでの憲法草案成立の過程においての論点の一つとして、「押しつけ憲法論」とい
う論点がある(特に天皇制をどうするかについて)。問題点としてはGHQによる憲法
改正の指示、 GHQ案の提示、議会審議中の強要等の事実により、現憲法成立過程全般
において不当な強制がなされているや占領期間中という国家の統治意思の自由がない
状態では、国家の根本法たる憲法の改正はありえないとの主張がある。

 

個人的には、これは確かに形だけ見れば「押しつけ憲法論」にはなるが、大人が子供
に将来を見据えた教育をするように、アメリカも将来の日本(象徴天皇制だと上手く
成長するのではないかというアメリカの思惑)を見据えて当時無理矢理に近い形で日
本の憲法を制定したというとらえ方もできるのではないだろうか(某近代ロボットア
ニメの「修正」に近いものもあるのではないだろうか)。そして、その当時のアメリ
カの思惑は予想を超え、日本は高度経済成長期を経て1968年にGDP世界二位となり、
一時はアメリカをも恐れるくらい成長した(アメリカの貿易摩擦の解消の日本への要
求等)。

 

大日本帝国憲法から日本国憲法へと憲法改正された時、一番の変更点は民主化だっ
た。しかし、その民主化の根本として天皇制の維持と変更があったと思う。なので、
私は象徴天皇制への変更が日本国憲法成立において一番重要であったと思う。短い期
間で考え抜いた末でた象徴天皇制、それは日本の戦後復興・経済成長・現代経済の礎
になったと思う。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

それでは……