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231. クローズアップ・「日本プロ野球応援の父 岡田正泰」 (再掲) part23

参照元8. 日本プロ野球応援の父 岡田正泰 - U8Sefia

 

 

8. 日本プロ野球応援の父 岡田正泰 (2019年11月20日投稿)

鳴り物の応援歌。現代プロ野球において当たり前になった鳴り物を使った応援。その基礎を作った男がいた。

その男は

 

 

岡田正泰さんです。

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(ウィキペディアより)

 

彼はかつて約50年以上に渡ってヤクルトの応援団長を勤められた方です。

 

 

1953年のある日まだ現代プロ野球が発足されたばかりの頃、岡田さんはヤクルトと巨人の試合に行った。

 

 

しかし試合は巨人が圧勝

 

 

さらに当時鳴り物応援などあるはずがなくただ野次を言い合うようなものだった。

 

 

実際その試合、巨人ファンの怒涛の野次そしてヤクルトの圧倒的ファンの少なさによりヤクルトホームにもかかわらずヤクルトにとって完全アウェーだったらしい。

 

あまりの酷さから次回野球観戦にいく時は秩序だった応援が必要だと考えた岡田は次回観戦時家庭のフライパンを持っていき鳴らしていたらしい。当時の人にとってみれば奇妙そのものであった。

 

 

しかし次第に鳴り物を持ってくる人が増え段々と秩序だった応援が出来上がっていた。これがプロ野球の応援の際トランペットなどの鳴り物を使うきっかけとなった。

 

 

だが、岡田は今日限り見にくる人でも楽しめるように考えていた。

 

 

日常にあるもの 安価なもの 必需品であるもの

 

 

考えに考えた結果行き着いた先は

 

 

 

そう

 

 

 

 

です

 

これがヤクルトの傘の始まりです。

 

 

とはいってもグッズで売ってる傘ではなく当時はビニール傘だったらしい。

 

 

そう活動していくうちにファンの間 選手の間 さらには監督まで名が知れ渡った。

 

 

そして監督が変わったら必ず岡田さんのところに挨拶に行くのがいつのまにか恒例となった。

 

 

そして1978年ヤクルト初優勝時、普通ではありえないことが起こった。

 

 

それは

 

 

日本一の時にもらえる優勝トロフィーを監督とともに持ち上げグランドを一周したのだ

 

 

このようにしてヤクルトといえばファンと選手が一体となっているチームとなったのだ。

 

 

1980年代の低迷期

1990年代の黄金期

これをも一戦一戦応援し続けて乗り越えて2002年に永眠なさりました。

 

2013年に応援し始めた僕にとって直接の接点はありませんが、ヤクルトの基礎を作った人であり偉大だと思いました。

 

 

ちなみに試合中絶対にグランドを見ずファンの方だけを見てファンの反応から試合を読んでいたという伝説があるらしい(笑)

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。