175. 「友達観」 “The value of friends for me” (再掲・再編集)
今回は約1年前、僕のブログで初めて(少し)ブレイクしたシリーズ「友達観」を再掲しつつ、一年たった僕が改めて「新しい友達観」を語りたいと思います!!!
では、まず再掲編から………
9. 友達観 part1 (2019年11月23日投稿)
あくまでもまだまともに社会を知らない筆者が書いている意見です。そこを前提にして読んでいただけたらなと思います。
僕は高校二年生(現在三年生です笑)。
親の都合でこれまで引越し九回。何度も別れや始まりを経験しました。転校も何度か(中高はずっと同じ)しました。
不登校。何でそんなことするのだろうと思っていました。しかし最近感じます。僕の通ってる中高のメンバーは僕には合わないっと。(僕の通ってる中高は小学校上がりの内部生そして中学受験組の外部生に分れています。そして内部生はだいたい金持ち)もちろんいじめられているとかではなく話そうと思えば誰でも話せられます。
しかし何かが合わない。
そう価値観です。
つまり、みんなの笑いのツボ、流行についていけない。(もちろん笑うときもあるし、どんなことが流行っているのかぐらいはわかるが、あまり進んで知りたい又は興味があるわけではない)
実際他の外部生も基本的に外部生と仲がいい。でもそれでも彼らはコンプレックスを感じることなく今を生きている…
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今回は自分の気持ちを整理して書こうと思いとりあえず書いてみましたが、なかなか自分の思いを伝えるのって難しいことがわかりました。
稚拙な文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございました。
では
13. 友達観 part2 (2019年12月1日投稿)
前回のまとめ
日常的なことを書きたいと思って書いた前回の記事。想像していたよりも自分の思っていることを表現することってこんなに難しいんだなぁと思った。
そんなことはどうでもよくて、
小学校を公立で過ごした僕は中学受験をして五勝五敗を喫し、内部上がりの人もいるとある中高一貫校に行った。
最初の中学三年間はなんとなく過ごしてきたが、高一ぐらいから成長するにつれて、周りの人(特に内部生)と自分は何が違い、何が合わないと思い始めていてその何は何なのか考えていた…。
そして最近自分なりに答えが出た。
そう価値観である。
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時が経ち、よく考えていた。
休み明けに学校に行くと、
「またお前昨日サボったろ」
ふとそんなこと言われる。勿論いじめられていてこの言葉を受けているわけではない。高一まで、入院の七日間そして海外留学による終業式の欠席を除いて毎日学校に出ていた僕が、高2になって急激に休むようになったからこそ、みんな動揺というか、[僕が欠席]ということが印象深く残っているからこそ出てくる言葉なのだろう。
そう、なんで学校を休むのか。
簡単に言えば、面倒くさいのだ(いじめでは決してないw)
面倒くさいと言うとこの読者は
「じゃあ、お前がただ単にサボりたいだけだろ」
って思うでしょう。
でも違うんです。
これまで周りの人に合わせてきて過ごしてきた結果出てきた言葉が、[面倒くさい]です。
つまり周りの人に合わせていくのが疲れると感じるようになったのです。毎日毎日
勿論、休んでいる間、みんなは勉強しているわけですから、そこは自主的に勉強する必要があります。
ずっと勉強しているとマジで引きこもりニートみたいになるのでたまに外に出ます。(昼飯買いに行く時とか)
その時、だいたい学校や友達のことについて考えます。
時が経ち、考えていくうちに
また、新たなことに気づいた。
僕の友達観(これまで僕が作ってきた仲間)と現実の学校での友達の違いの原因は、
学校のシステムまたは、伝統に問題があるのではないだろうか。
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一応言いますが、僕は留年や単位落とすぐらい休んでるわけではありまさん。
不登校ほど休むまでには全く至ってないので、そこは認識していただきたいです。
何か文章にアドバイスがあれば遠慮なく言っていただけたら光栄です。
では…
20. 友達観 part3(最終part) (2019年12月11日)
あの僕の注目記事の一位と三位(現在二位)が友達観シリーズとなんか僕の記事の中では人気なので、そろそろあげようと思います。
前回までのあらすじ
中高一貫校に進んだ僕は、中学三年間を過ごして高校一年を過ごして高校二年生になった。
しかし段々と周りの人と価値観が合わないと気づいた。
ではその価値観の違いは何からきているのだろうと考えた結果、学校の伝統やシステムによるものだという結論を出した。
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あれ?学校の伝統やシステム!?
(
「また他のものに押し付けるのかよ」
「……」 )
たしかにそうですが、どんなに客観的に見てもそれにたどり着くんです。
世間的にお坊ちゃん学校とみられているので、(そこに通ってる自分もお坊ちゃんかも)(けど特に内部生)金の使い方、又は親の職業をただ引き継げば良いのでたるんでいる人、とにかく自分とは違った環境にいる人が多いんです。
だからこそ「あっ、この人なら俺の言いたいことがわかる人(つまり本音が言える所謂親友と呼べる存在)」が今のところたった一人しかいない。
だから、個人的にもっともっと外部の人と関係を持って(旧友でも塾の人でも誰でもいい、とにかく自分と同じ立場にいる人)刺激を受けなければならない(理想論ではあるが)。
結論
自分で自分の学校や学校の周りの人を非難するくらいだったら、それなしでいい結果を出す使命がある。
なので、僕は学校の周りの人と噛み合わなくて、もっと外部の人と接するべきだと言った以上、それはつまり自分のやりかたで結果を残さなければならない。(それで失敗したら、それは自分の考え方が間違っていたということ)
たしかに学校を休むことは生活リズムの崩れになる。だから学校にはいきつつもあくまでも自分の考え方をもとにやろうと思う。(来学期から)
だからこそ、僕はこれから自分のやり方を尊重し、実践しつつ今後(大学受験まで)生活していこうと思う。
以上
最後まで読んでくださいましてありがとうございます。これにて友達観シリーズ終わりです。いい記事と思ったら星マーク又は読者になっていただけたらなぁと思います。
では…
今振り返って………
率直に言ってもいいですか?
めちゃくちゃ恥ずかしいです笑
(なんでこんな記事投稿したんだろう………)
それではこれから今の僕の友達観を話していきたいと思います。
今の友達観
まぁ、僕にとっての友達という意味合いは、(僕にとって)支えとなる人です。そのような人が必ずいるわけでは無いと思います。そして、今の僕の高校においてそのような人は数えるほどしかいないと思います(まぁ、沢山いる方が珍しいですよね笑)。勿論話せる人は多数いるわけですが、それだからといって自分のことを話そうとはならないですねぇ〜。(その原因はやはり1年前にも書いた通り価値観の違いなのかも…)
てな、感じです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それでは……