63. 好きな歴史上人物 part5 (ビスマルク)
ヨーロッパを荒らしながらもヨーロッパの国々からこの人がいないとヨーロッパは危ないとさえ言われたドイツの鉄血宰相との名で知られているビスマルク。今回はそのビスマルクの政治力について話していきたいと思います。
まぁまず、毎回のようなのですが、この記事はビスマルクのある程度について知っている前提で話しますのであまり知らない人は以下を!
オットー・フォン・ビスマルクとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】 | 歴史上の人物.com
・ドイツ統一への道
神聖ローマ帝国時代から(正確には大空位時代辺りから?)ドイツはバラバラだった。(というか当時の人にとってドイツという意識がなかった)。しかし、プロイセン全権公使に就いたビスマルクは有名な鉄血演説を行った後ドイツを統一しようとした。そして、北ドイツを統一後南ドイツ統一の為、それまで有効な関係だったオーストリアに突如宣戦布告、そして二ヶ月で勝利。そこで、ビスマルクは…
なんと賠償金は取らず、南ドイツの領土だけをいただいたのです。当時戦勝国が敗戦国から賠償金を取るのが当たり前な時代にとってこれはあり得ないこと!
その後ルール地方の工業地帯をフランスからとりたいと考えたビスマルク、ここでオーストリアに賠償金を払わなかった代わりに同盟を組みます。(独墺同盟)
その後フランスに宣戦布告するため、フランスに煽りの電報を打ちフランスの王を怒らせます。そして理性を失わせます。
そして理性を失って正常な判断能力がないうちにオーストリアと共にフランスに攻撃、そして勝利。そして講話会議で領土と賠償金をガッツリもらいました。
そしてフランスにこれ以上にない屈辱を与えました。
それは...
すんげぇー
・ビスマルクの政治力
ビスマルクの目標はただ1つ。フランスを追い込んで潰すことです。
なのでまずは対フランスの仲間作りから始めました。
まずはシチリア島の領土問題でフランスと揉めていたイタリア(当日まだイタリアは統一された直前直後だった気がする)を仲間入れ。
ドイツ・オーストリア・イタリアで三国同盟を結びました。(この同盟は第一次世界対戦まで続く)
その後ロシアとイギリスで三国干渉(イギリスは当日形前は中立をとっていたので貿易だけ一緒にやろうということで三国干渉になったが、事実上軍事同盟)を結んだ。
これによりフランスはヨーロッパで孤立した国となった。そしてなんとフランス以外の国々はフランスという共通の敵が現れたのでお互いに戦争をしなかった。(各国でのビスマルクの評価は格段と上がった)
・Withoutビスマルク
しかし、
その後ドイツ帝国の皇帝が代わり、(確かヴェルヘルム三世かな?)なんとドイツ国内での政治事情からなんとビスマルクを解雇。
各国からヨーロッパに戦乱の世が帰ってくると危惧された。
そして、実際その通りになった。
ロシアがシベリア鉄道のお金がないということでそこに漬け込んだのが苦しかったフランス。お金を貸す代わりに同盟を結ぶことになりました。(露仏同盟)
そして事実上三国干渉がなくなり、イギリスも大陸ヨーロッパの政治から離脱。(元々あまり積極的ではなかった)
そして挟み撃ちされた三国同盟の国々。
その状況がその後の第一次世界大戦を生んだのです......
・ビスマルクの名言集
一、肝心なのは我々が歴史を作るのだ。書くのではなく。
二、強いものに食い殺されるのは弱いものの宿命だ。
三、愚者は自分の経験を学ぶという。私は歴史から学ぶ。
四、現在の大問題の解決は演説や多数決ではなく、鉄と血によってなされるのだ。
五、いつか大ヨーロッパ戦争がバルカン半島の小さな愚かなことから始まるだろう。
以上です。どうでしたか?
ビスマルクは人によって大きく批評が分かれる人ですが、このリーダーシップ性は現在にはなかなかいないタイプですしそこは評価できると思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。次回の人物はアルキメデスを予定しております。お楽しみに!
そして良かったら読者になってください。よろしくお願いいたします。
では......