U8Sefia

大学一年生ブログ初心者です。基本的に自分の趣味について語っています!是非見て下さい!

42. あれから一年(前編)

 

(この記事は1月31日に公開される「あれから一年(後編)」の前触れとして書かれています。なので、今日は1月31日ではないですが、今日を1月31日としてみて下さい。)

 

 

 

あれから一年かぁ……

 

 

今日2020年1月31日。その一年前である、2019年1月31日。

 

その一ヶ月前。衝撃的なことが起きた。今回はその衝撃的なことが起きた2018年12月22日の約一週間前である12月17日からことを起こします。

 

 

2018年12月17・18日

当時所属していた野球部の練習があった。5日連続の練習の1日目と2日目。何事もなくいつものように練習を終えた。

 

2018年12月19・20・21日

気づいたら、左足が痛かった。最初はすぐ治るだろうとほったらかしといた。(よくあることだと思ったから)

しかし20日21日と日を重ねるにつれて、どんどん痛みが増していった。そして最終的には走れなくなり、歩くのがやっとの状態になってしまった。

しかし、筋肉痛だろうと思い、(5日続けてだったので)親にも言わず、放置していた。(結果的には何事もなかったが、これは絶対にやってはいけない行為。これは読者の皆さんにも分かってもらいたい)

 

2018年12月22日(運命の日)(夕方まで)

終業式の日。足はものすごく痛かったが、なんとか学校に行き昼に帰宅した。しかし、あまりにも痛いし、翌日から4泊5日での合宿があったので、クリニックに行き安心して帰ってこようと思い、クリニックに行った。

そして診察の時、今の足の状態のことを赤裸々に話した。(この時医師は足のところをチェックして、険しい顔つきになってた気がする。これは後から思い出したことです)僕はその時何かしら適当なこと言われて、大丈夫だと言われて終わりだと思っていた。

しかし医師から言われたのは、

「今からレントゲンとMRIとるから準備してて下さい。」

最初言われた時、ん?っと思いました。そして、カルテを見たとき衝撃的なことが書かれていました。

「左足関節半月板損傷の疑い」

動揺が隠しきれませんでしたね。何しろこんな長い病名には遠縁だと思ってましたから。すぐに診察室を出て、病院のトイレで親に電話しました。まぁ、親も心配そうでした。

その後MRI専門病院にいって、検査しました。その結果医師から正式に言われたのが、

「○○さん。その左足の痛み半月板損傷によるものです。」

嘘だと思いましたね。

「何か左足を変な方向に曲げたりしましたか?」

しかし、何も思い当たることがない。

っと言ったら、

「じゃあ、多分慢性的に痛んでいたのでしょう。なんで今のタイミングかは不明ですけど、何かがきっかけで損傷してしまったのでしょう。元々○○さんの場合、先天的に半月板が大きいものなんですよ。」

ちなみに半月板とは?と思った方は以下のところをクリック↓

半月板とは? - Google 検索

「じゃあ、先生。その対処法とはなんですか?」

そしたら、衝撃的な答えが返ってきました。

「対処法は一つ、手術ですね。まぁ、よくあることなんですけれども…」

よくあることだと言われても手術!?

さらに、

「だいたいの場合、成功するんですけれども、もし失敗した場合足切断となります。」(ここまで直接的ではなかった)

本当に事実が受け入れなくて、辛かったです。なんですよ自分が…と思いましたね。

 

2018年12月22日(夜)

母親がセカンドオピニオン(簡単に言えば、第三者の意見を聞くこと)を聴きたいということで、二つ目のクリニックに行った。

しかし、結果は同じでついに、大学病院への招待状をもらった。

 

2018年12月23〜27日

荷物も送ってたことだし、医師には反対されたが、足をあまり使わない程度で合宿に参加した。

 

2018年12月27日

合宿最終日を途中で切り上げ、

 

2018年12月31日〜2019年1月1日

年末年始を祖父母の家で過ごし、事実を伝えた。

 

2019年1月2日

四つ目の病院。しかし、結果は同じ。

(三つ目はまさかのヤブ医者だったw)

 

2019年1月5日

ついに大学病院。普通のクリニックとは違い、患者をいかに早く処理するのかが勝負みたいな世界に見えた(クリニックの場合、いかに患者に親切に扱うかが勝負だと思う)

 

しかし、診察結果は同じで、悩みに悩んだ末、将来の為にも僕は手術することを決意。(それ以外に方法がなかったし、手術するなら早くしたほうがいいとのことだったので)

 

家族で誰も受けたことがなかった手術。僕はその先駆者となってしまった。

 

2019年1月12日

二回目の診察。手術の日程が1月31日に決定。よって1月30日に入院することになった。

 

2019年1月29日

手術が近づくにつれて不安ばかりがたまる。

失敗したら、失敗したら、足が切断だ…

それしか考えられなくなった。

あまりの不安で、僕は学校を休んだ。(しかし、休んだところで何も解決しなかった。ただ逃げていた。)

 

2019年1月30日

ついに入院の日。両親とも働いたので、朝早くからの入院となった。僕は手術のことを考えたくないので、ゲームなどをして、現実逃避していた。

そして夜になった。寝る時間になった。

 

しかし、

 

寝れない。

(確かに周りのおじさんたちのいびきはすごかったが)そういうわけではない。

不安すぎて寝れない。

 

足を切断されてしまうかも、

 

そう考えていたらいつのまにか

 

足が切断されてしまう

 

と考え始めていた。そして、今日が足がくっついたまま寝るのが最期かもしれない。

 

負の連鎖だった。

 

2019年1月31日

結局寝れなかった。徹夜。食べ物は一昨日から食べられなかったから、空腹状態。最悪の状況だった。

 

迎えた11時。看護師さんがやってきた。

心の準備が整わないまま、手術待機室へ……