えーこのシリーズ第二弾。今回紹介するのは、波乱万丈な人生、立花宗茂です。時は戦国時代。九州覇権争いから天草・島原の乱まで生きたお方です。あまりにも波乱万丈なので、大河ドラマにしたら、俳優による視聴率だけではなく、面白い人生から視聴率が取れるとは思います。
今回はあまりにもこの立花宗茂が波乱万丈なので(何回言うんだよ笑)、URLは貼らず、基本的に私が説明していきます。
1567年、九州の戦国大名大友家の重臣吉弘家に生まれます。当時、九州は大友、島津、龍造寺(九州の三国志と呼ばれた)が覇権争いをしていました。
その後、高橋家の養子、そして戸次家になります。そんな感じで幼少期を過ごしました。
しかし、大友は耳川の戦いに島津に敗れ、さらにその後、岩屋城の戦いで実父を失い、大友家は衰退していました。そして、岩屋城の戦いで勝った島津勢が、どんどんと大友勢の城へと攻めてきました。
そして、豊後国まで大友勢は追い詰められ、滅亡の窮地に立たされた時、意外な展開を見せます。
そう、新たなる登場人物、豊臣秀吉の登場です。元々、大友は以前から秀吉に援軍要請していました。それで、大友勢に羽柴秀長、宇喜多秀家、毛利輝元などの強力な助っ人を迎えて、一緒に島津勢を叩くことになりました。
九州征伐後、その才能を秀吉に認められ、筑後国13万石を与えられます。
その後、朝鮮出兵にも参加して、(文禄、慶長両方とも)小西行長の窮地を救うなど、活躍しました。
秀吉死後、1600年関ヶ原の戦いでは、西軍につき、東軍方の京極氏がいる大津城へと攻めました。(大津城の戦い)
しかし、結果として、関ヶ原の戦いは西軍の敗北に終わりました。その後、九州の自軍の城へと帰りましたが、その直後関ヶ原を受けてどさくさに紛れて挙兵していた、黒田如水(官兵衛)により攻撃を受けます。しかし、激しい攻撃により、立花宗茂は降伏を決意。黒田軍に投降します。しかし、その黒田如水が息子黒田長政経由で東軍に投降。宗茂は東軍の浪人となりました。
ここからが凄い。
関ヶ原で、西軍につき外様大名だった宗茂、なんと1604年ライバル本田忠勝により、幕府の御書院番頭(いわゆる親衛隊)についたのです。外様からの復活。当時彼だけだったのでは!
その後、大坂冬の陣・大坂夏の陣と徳川秀忠の参謀として、活躍しました。(真田幸村、毛利勝永にかなり苦しめられたが)
その後筑後国を任せられました。
そして1638年天草・島原の乱が起きました。立花宗茂は、総大将松平信綱の補佐役として活躍しました。
その後1642年76歳で亡くなりました。
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面白いところその一
名前が12個もあった。養子などを繰り返した結果、名前が12個もあった…
面白いところその二
外様大名から幕府の重鎮になった。
面白いところその三
大名→浪人→大名
もうこれこそ波乱万丈!
面白いところその四
九州征伐後実父の仇である島津家を会えて助けた。
最後にやっぱり大河ドラマには、ぴったりな人物だと思うけどなぁ……
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最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。よかったら読者になって下さい。よろしくお願いします。
次回の好きな歴史上人物は、諸葛亮孔明を予定しております。お楽しみに!
では……