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大学一年生ブログ初心者です。基本的に自分の趣味について語っています!是非見て下さい!

41. 好きな歴史上人物 part3 (立花宗茂)

えーこのシリーズ第二弾。今回紹介するのは、波乱万丈な人生、立花宗茂です。時は戦国時代。九州覇権争いから天草・島原の乱まで生きたお方です。あまりにも波乱万丈なので、大河ドラマにしたら、俳優による視聴率だけではなく、面白い人生から視聴率が取れるとは思います。

 

 

今回はあまりにもこの立花宗茂が波乱万丈なので(何回言うんだよ笑)、URLは貼らず、基本的に私が説明していきます。

 

 

1567年、九州の戦国大名大友家の重臣吉弘家に生まれます。当時、九州は大友、島津、龍造寺(九州の三国志と呼ばれた)が覇権争いをしていました。

 

 

その後、高橋家の養子、そして戸次家になります。そんな感じで幼少期を過ごしました。

 

 

しかし、大友は耳川の戦いに島津に敗れ、さらにその後、岩屋城の戦いで実父を失い、大友家は衰退していました。そして、岩屋城の戦いで勝った島津勢が、どんどんと大友勢の城へと攻めてきました。

そして、豊後国まで大友勢は追い詰められ、滅亡の窮地に立たされた時、意外な展開を見せます。

 

そう、新たなる登場人物、豊臣秀吉の登場です。元々、大友は以前から秀吉に援軍要請していました。それで、大友勢に羽柴秀長宇喜多秀家毛利輝元などの強力な助っ人を迎えて、一緒に島津勢を叩くことになりました。

 

九州征伐後、その才能を秀吉に認められ、筑後国13万石を与えられます。

 

 

その後、朝鮮出兵にも参加して、(文禄、慶長両方とも)小西行長の窮地を救うなど、活躍しました。

 

 

秀吉死後、1600年関ヶ原の戦いでは、西軍につき、東軍方の京極氏がいる大津城へと攻めました。(大津城の戦い)

しかし、結果として、関ヶ原の戦いは西軍の敗北に終わりました。その後、九州の自軍の城へと帰りましたが、その直後関ヶ原を受けてどさくさに紛れて挙兵していた、黒田如水(官兵衛)により攻撃を受けます。しかし、激しい攻撃により、立花宗茂は降伏を決意。黒田軍に投降します。しかし、その黒田如水が息子黒田長政経由で東軍に投降。宗茂は東軍の浪人となりました。

 

 

ここからが凄い。

 

 

関ヶ原で、西軍につき外様大名だった宗茂、なんと1604年ライバル本田忠勝により、幕府の御書院番頭(いわゆる親衛隊)についたのです。外様からの復活。当時彼だけだったのでは!

 

 

その後、大坂冬の陣大坂夏の陣徳川秀忠の参謀として、活躍しました。(真田幸村毛利勝永にかなり苦しめられたが)

 

 

その後筑後国を任せられました。

 

 

そして1638年天草・島原の乱が起きました。立花宗茂は、総大将松平信綱の補佐役として活躍しました。

 

 

その後1642年76歳で亡くなりました。

 

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面白いところその一

名前が12個もあった。養子などを繰り返した結果、名前が12個もあった…

 

面白いところその二

外様大名から幕府の重鎮になった。

 

面白いところその三

大名→浪人→大名

もうこれこそ波乱万丈!

 

面白いところその四

九州征伐後実父の仇である島津家を会えて助けた。

 

最後にやっぱり大河ドラマには、ぴったりな人物だと思うけどなぁ……

 

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最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。よかったら読者になって下さい。よろしくお願いします。

 

 

次回の好きな歴史上人物は、諸葛亮孔明を予定しております。お楽しみに!

 

 

では……